パラリンピック候補選手へのインタビュー
こんにちは。現在タイのバンコクに留学中の梶原です。
「僕が気になった方を勝手に紹介してみよう!」企画第一弾。
今回は東京パラリンピックの陸上で活躍が期待されている、池田 樹生(いけだ みきお)選手にバンコクでお話を伺いました。
“プレッシャーがあるからこそ、僕は1本1本真剣に走るんです。”
“障がいは1つの個性だと思ってます。将来オリンピックとパラリンピックの垣根がなくなるくらい、僕は早くなりたいんです。”
熱くて強い、そんな想いと行動力が伝わってきます。どうぞ。
|| 実は、きっかけは義足が壊れたからなんです
―――この間はありがとうございました。早速ですが、どうして陸上競技のパラリンピック選手になろうと思ったのか、経緯をお聞かせ下さい。
小学校の時からお話させて頂きますね。僕は小学校低学年の時は野球をやっていました。しかし試合に出場するとなると難しく、足を使う競技であるサッカーを始めました。
中学生になってからもサッカーを続けようと思っていたのですが、生活用の義足だと衝撃に耐えられず壊れてしまったんです。
なので別のスポーツをやろうと思って、次はバスケを行い始めました。なぜバスケかと言うと、3年生の先輩にバスケがめちゃくちゃ上手い方がいたからです。今思うと僕の負けず嫌いの精神がここでも発揮されていますね。笑
それで3年間、中学を卒業するまで3年間バスケに夢中になりましたが、また義足が壊れてしまったんです。
―――生活用の義足と競技用の義足では、そんなに耐久性が違うんですね。他にも何か違いがあるのでしょうか。
端的に表すと、陸上競技用の義足は皆さんの感覚だといつもつま先立ちをしている感じです。なので「競技用の義足で生活すれば良いじゃん」と良く言われるのですが、結構大変なんです。笑
一方生活用の義足は生活するために出来ているので、単純に生活がしやすい設計になっていますね。
|| 絶対に勝てる。負けるわけが無いと思った。
―――そうなんですね、勉強になります。話を戻しまして、陸上競技の世界に入ったきっかけを教えて貰えますか。
はい。続きになりますが、義足が壊れたので、義足の修理工場に行きました。そしたら工場にたまたまパラリンピックの陸上選手の写真が飾ってありました。僕はその選手の写真を見て、なぜか「絶対勝てる。負けるわけが無い。」と真剣に思ったんです。
それで、高校から陸上競技を真剣に始めました。
―――不思議な自信が浮かび上がってきたんですね。実際に競技を始めてみてどうでしたか。
惨敗しました。笑
高校生の時にパラリンピック出場選手と走らせて頂く機会があったのですが、簡単に負けてしまったんです。圧倒的な力の差を見せつけられた気がしました。
でも負けてから「絶対にこの世界で勝ってやるんだ。国内で1位になるだけじゃなくて、世界でも1位になるんだ。」と一層思うようになりました。
―――お話を伺っていると、本当に強い意志が伝わってきます。どうやってその意思やモチベーションを維持しているのでしょうか。
僕が元々かなり負けず嫌いな性格だからだと思います。笑
戦えるフィールドがあるのなら、誰にも負けないくらい高みを目指す覚悟で、僕はこの世界に入ってきました。
性格と覚悟がモチベーションを維持しているのだと思います。
|| 誰にも理解して貰えない悩み
―――文字で伝えきれないのですが、ものすごい覚悟がひしひしと伝わってきます。そんな池田さんは、今抱えていらっしゃる悩みはありますか。
あります。僕は今国内で2番手なのですが、1番手の方に勝たないと東京パラリンピックでは勝負になりません。
その方に勝たなければいけない、またお互いに切磋琢磨できるような関係にならなければいけない。そのプレッシャーがすごいですね。
だからこそ、練習する時も毎回どうやったら勝てるのかを常に考えています。具体的にはスタートダッシュをするにしても、1本1本どんなフォームならより速くなるのかを考えています。また絶対に勝つんだという気持ちで走っています。
|| 僕がオリンピック選手に勝つ第一号になりたい
―――トップ選手ならではの悩みという感じなのですね。少し大きな質問になってしまうのですが、これからパラリンピックをどうしていきたいかを教えて下さい。
将来的にはパラリンピックとオリンピックを分けない世界にしたいです。むしろパラリンピックの選手がオリンピックの選手に勝てるような時が来て欲しいです。
今もパラリンピックの陸上100mの世界記録はかなり早くて、11秒を切っているんですね。
近い将来、パラリンピック選手がオリンピック選手の記録を塗り替える時が来るでしょうし、僕がその第一号になりたいと思っています。
|| 変われたきっかけは、やっぱりスポーツだった
―――ありがとうございます。突っ込んだ質問になってしまうのですが、池田さんはご自身の障がいをどの様に認識されているのでしょうか。
物心ついて最初に気付いた時はかなりショックでしたね。笑
障がいに対してはマイナスなイメージしかなかったです。周りからもジロジロ見られるし。
そんな僕が変わったきっかけはスポーツでした。障がいがあったとしても、工夫したら他の人と変わらないようにできたり、上回ったりしたんです。
それで障がいって何だろうって考えたら、1つの個性だと思うようになりました。1人1人顔が違うように、僕の特徴だと思ったんです。
またこの個性が無ければ、僕はパラリンピックには出場していなかったでしょうし、梶原さんにもお会いできていなかったと思います。
だから今では感謝しているぐらいです。こんなにも色んな方に合わせて頂いて、たくさんの経験が積めるのは本当に嬉しく思っています。
|| 自分の幅を狭めて欲しくない
―――スポーツがきっかけで障がいに対してプラスの感情を抱くようになったのですね。最後になりますが、ご自身が後輩や皆さんに広めたいことはありますか。
色んな挑戦をして欲しいです。簡単に物事を出来るのか出来ないかを決めて欲しくないんです。
例えば僕は小学生の時、障がいのため逆上がりが出来ないと思い込んでいて、挑戦すらもしませんでした。
でも大学生になって何気なしにやってみたら、簡単に出来てしまったんです。笑
その時「あ、意外と出来ないって思ってても、挑戦したら簡単に出来てしまう場合もあるんだ。」と気付きました。
だから、皆さんにも簡単に諦めて欲しくないんです。チャンスがあるなら失敗しても良いから挑戦して欲しい。自分の枠を狭めないで欲しいなと強く思っています。
―――ありがとうございました!
・・・・
話を伺っていて、何度も心が震えました。本当のアスリートの方は、湧き上がるような熱い気持ちを持っていて、毎日を全身全霊で挑戦しているのがびんびん伝わったからです。
「今は何とも思いませんし、障がいは1つの個性だと思っています。でも昔は辛くて本当に逃げたい時期もありましたよ。笑」
「だからこそ過去を乗り越えた僕を見て、一人でも多くの人に色んな挑戦をするきっかけにして欲しいんです。そのためにも、僕は誰よりも早く走ります。」
今を全力で生きている池田さんは、本当に本当に格好良かったです。