【ついに、コンプレックスの塊だった僕が自信を付けた過程を書いてみる】
それは、以前気になってる女の子とご飯を食べていた時のことです。
「ねぇねぇコンプレックスが凄かったかじさんは、いつからそんな自信がついたの?わたし知りたいなぁ♡♡♡♡♡」
と言われました。♡が見えたんです。本当です。いや、そう信じさせて下さいお願いします。(土下座)
ちなみにこの時、内心かなりアワアワしてました。可愛い女の子にじーっと笑顔で見つめられたのが久しぶりだったんです。女子とあまり話したことが無い男子の特長を見事に捉えています。
ここから、男を落としたい時は笑顔でじーっと見つめることが大事だと分かります。
さて本題ですが、上の写真のような僕の「アフロの様なくせ毛」というコンプレックスは、そういえばいつ消えたんだろうと。また、今の僕になるまでにどのような過程があったんだっけと、この子と話しててふと疑問に思いました。
なので、自己の振り返りのために書いていきます。
加えて、今強いコンプレックスを持ってる方が、「こんな人でも立ち直れたんだったら俺なら余裕っしょwww」と思って頂けたら軽く昇天出来ます。
ちなみに今までどういう経緯があったかを簡単に知りたい方は、下のブログをお読み下さい。
これで少しでもモテるようになれば……!笑
<目次>
1.コンプレックスが初めて消えた高校時代
2.しかし根本的な解決にはならず……
3.自分に自信が付いたタイミング
4.自信0だった僕が自信を付けて3つ気付いたこと
5.あとがき
1.コンプレックスが初めて消えた高校時代
あれは確か高校1年生の冬です。僕は何かの雑誌で、強いくせ毛でも真っ直ぐになる縮毛矯正という人類の英知があることを生まれて初めて知りました。
ちなみにこれを発明された方は、くせ毛の悩みを激減させたということで何か受賞されるべきだと思っています。人類の英知です。人類の英知なんです。大事なので3回繰り返します。
そこで僕は親に頼み込み、美容院で縮毛矯正を受けることになりました。かなりわくわくしてたのを今でも覚えています。
やっと普通の人になれて、人生変わって楽しくなると思ってました。
そして、僕のアフロの様なくせ毛は、10〜18時の8時間にも渡る神のような(?)施術で一旦影を潜めたのでしたとさ。
めでたしめでたし。
2.しかし根本的な解決にはならず……
しかし、くせ毛が消えても僕には自信がありませんでした。当然です、中身は何も変わってないのですから。
人とは話せないままだし、相変わらずクラスではぼっち道極めてました。いわゆる、クラスに一人はいる休み時間ずっと一人で勉強してるか寝てる寂しいコミュ障ぼっちです。
……書いてて悲しくなってきました。。
さらに悪いことに、髪の毛だけは劇的before afterな変化をしたので、多くの人から注目を集めてしまいました。人目が怖くて誰にも見られたくないと思っていたのに。
コミュ障だった方ならこの見られたくないという気持ち、分かって頂けると思います。
あ、ちなみに石像になりたいと真摯に思ってたこともあります。僕が紳士だけに。
脱線したので戻ります。縮毛矯正を当てた僕は、「あいつアフロが真っ直ぐになってるぞ!」と学年で評判になり注目を集めてしまい、ますます学校へ行くのは嫌になりました。
....さて、これでは一体何のために縮毛矯正を行ったのでしょうか?笑
3.自分に自信が付いたタイミング
そんな僕は、大学受験に失敗したこともあり、自信0のまま高校を卒業しました。
しかし、卒業時に死のうと決意して進学させて貰った大学で、1つ決定的な選択を偶然しました。
それは、今回のタイトルの要になる、2015年のタイのチェンマイ大学への1ヶ月間の留学です。
ちなみに、この時の僕の英語スペックは外国人に道聞かれたらダッシュで逃げるレベルでした。なんならコミュ障だったので日本人でも逃げてたかもしれません。
つまり、英語なんか話せるわけありません。外国人恐怖症レベルです。
No No Noooooo!!! I can't speak Engliiiiiishhhhhhh!!!
加えてタイ語も、「何このヘビが這ったような文字!?わけ分かんない!!」と思ってました。
しかし、こんな状態で行ったタイで、僕は多くのことに気付きました。
その中でも1番の気付きは、世の中には言葉が通じなくても友達になれる人がいるんだということでした。
実を言うとその時大学では「よっ」と挨拶するだけの「よっ友」しかおらず、上っ面だけの付き合いに飽き飽きして毎日面白くありませんでした。
何回大学辞めて死のうと思ったことでしょう。
しかし、こんなロクに英語が話せない、いじめが原因でコミュニケーション能力がそもそも低かった僕にも、タイの子が毎朝笑顔で心から挨拶してくれたことが、とてもとても嬉しかったんです。
生まれて初めてつまらない「よっ友」でなく、本当の友達が出来た気がしました。
そこで、彼らとコミュニケーションが取りたくて英語とタイ語を必死に勉強しました。
フェアウェルパーティーの出し物では、全力で練習した金爆の"女々しくて"を踊りました。スイカの一気食いもやりました。ダルビッシュ研二の真似をするために白塗りだってやりました。
結果、自慢ウェイみたいな感じになるのが嫌なのですが、チェンマイ大学のこのプログラムの英語の授業で、日本人初のオールA評定を取得することができました。
ウェイ。
さらにこの経験をしたことで、僕は元々人と話せなかったのに英語とタイ語は話せるようになるという、スペック的な面で自信が付きました。
加えて、新興国で1ヶ月間住んでいたという、僕の大学ではレアな体験をしたことも強い自信に繋がりました。象乗ったのは良い思い出です。
ウェイ。
4.自信0だった僕が自信を付けて3つ気付いたこと
気付いたことは、下記の3点です。
(ⅰ)自分が本気で変わろうと思わない限り変われない。
(ⅱ)自分を変えるきっかけというのは人によって様々で、過去にならないと分からない。
(ⅲ)人に無理して合わせなくていい
順に説明していきます。
(ⅰ)自分が本気で変わろうと思わない限り変われない。
確かに違う環境へ行けば「あ、ヤバイこれ死ぬ死ぬ無理無理うわああhi※Jgtf」と思い努力はします。しかし、本気で変わろうと思わないと本質的には一緒のままになると感じました。
なぜなら、変わるのは非常にしんどいからです。そのしんどい方へ「本気」で立ち向かえないと、結局楽な方へ逃げてしまうと感じています。
例えば今回の僕のケースであれば、本気でタイ人とコミュニケーションを取りたいと思わなければ、「Hi!」しか言えなかった僕が1ヶ月で英語で日常会話をできるようにはならなかったと思います。
ましてヘビ文字だと思ってたタイ語を少し読んで話せるようになるなんて、一切想像してませんでした。
また、実際1年ほどアメリカなどに留学しても、ほとんど英語を話せないで帰ってくる学生を多く見てきました。
そういう方々が口を揃えて仰ったのは、「英語話せたらかっこいいと思って行ったけど、現地では日本人だけで生きていけるから結局日本語しか使わなかった。」ということでした。
(※もちろん、逆にホントに1年しか留学してないの!?嘘やん!と感じる学生の方も多くいらっしゃいました。自分次第!)
ここからも、自分を変えるには環境を変えるだけでなく、「本気でやろうと覚悟してやり続けること」が重要だと感じました。
(ⅱ)自分を変えるきっかけというのは人によって様々で、過去にならないと分からない。
僕は正直タイでここまで変わると思っていなかったです。ただの偶然です。何も考えないでノリで行きました。
だから、もし今自分に自信が無い方がこの文章を読んでくれているなら、伝えたいことは1つです。
それは、「怖いのは分かるけど、とにかく行動して欲しい」ということです。
正直人間はサイヤ人に近いものがあって、死にそうな所から這い上がってくればくるほど強くなれると、経験から確信しています。筋肉痛にならないと強くなれないのと一緒です。
だから、多くの環境へとにかく飛び込むことが大事なのかなと感じました。数を撃てば、ある未来の点から過去を振り返った時にそれは線となり繋がります。スティーブ・ジョブズが言っていましたね。笑
……とは言っても僕もまだまだ臆病です。自分が知らない環境へ飛び込むのはここだけの話怖いです。だから人に頼りながら生きています。笑
新しい環境へ飛び込むのが怖い方は下の記事をご覧下さい。僕が大好きな友達に励まされた時のことを詳細に記録しています。
(ⅲ)人に無理して合わせなくていい
友達がいなかった僕は、誰かに合わせようと必死になって生きていました。だから、意見を述べたことは1回もありませんでした。しかし、自分に自信が付くことで、合わせることがなくなり意見を主張するようになりました。人との壁を消すようになりました。
そうすると、気を張らなくても付き合える友人がたくさんできました。
確かに、ある程度人に合わせることは大事だと思います。礼儀などもとても重要です。
しかし、自分の意見をしっかり伝えて、相手の意思も汲んだ上でその人と合わないと感じるのであれば、それはそれでいいやと思えるようになりました。
そう、みんな違ってみんな良いんです。
5.あとがき
はい、ということでコンプレックスが自信に変わった大きな要因はタイでした!
長々と書いてきましたが、何か1つでも参考になることがあれば幸いです。
あー、30分で終わらせようと思ったのに気付いたら熱くなって3時間も書いてました。大人しく帰って寝ますね。笑